いんてりぢぇんす
2004年4月7日な浪人生を目指してます。笑。
手始めに新書なんぞ買ってみました。爆笑。
まあ現社の時事問題がパーな私が、
時事やら歴史やら語るのは問題外なのかも知れんけどね。
何なの都立の卒業式&入学式。
日の丸・君が代。
起立しなかった教師免職って何ですか。
思想の自由は?
戦中、「非国民!」の一言で教師が免職させられたのと
一体何が違うというのですか。
そもそも愛国心の評価って何。
有りえん。
・・・有りえんの一言で片付けちゃ駄目ね。
私はどうも精神論で言っちまう癖があるわけで。
いんてりぢぇんす目指すんならそれはまずいわけ(笑)
実際今日の入学式の新聞とか見たけれど、
何か戦中の話読んでる気分になった。
「国歌斉唱強制」。
「国歌」ってのは、かなり思想的なものが絡んでると、
私は思うわけで。
要はあれって「君」=「天皇」を、
「称える」歌なわけで。
民主主義になってから、「君」=「国民」に
変えるっちゅーなんともまあ御都合主義な。
・・・まあその意味もよー考えず、
取り敢えず歌っとけーみたいな人もいるんだろうけど、
でも抗議に出た学生も、結構いるみたいなのね。
私の友人の学校でもあったみたいだし。
ま、当然聞き入れられなかったみたいだけどね。
国を愛したい人は愛すればいい。
そして大いに国歌を歌い国旗を掲揚すればいい。
しかしそれはあくまで思想の1つなのだ。
「公教育」ってのは、「公」である限り、
一定の思想に凝り固まる事が許されない場所。
それは「政教分離」の原則がある限り絶対でしょ。
(逆にうちらがいた「私学」っつーのは、
入るも入らぬも個人の自由なのだから、
カトリックだろーがプロテスタントだろーが、
学校は好きに教育して良いのです。)
「愛国心」だの何だのってのは、
あれはもはや宗教と同ジャンルでしょ。
何を持ってして宗教と呼ぶか、ってとこまで広げていけば、
もっとこの辺ちゃんと立証出来るのだが、
少なくとも「何かを称え、その為に行動する」っていう事は、
宗教的なものであり、思想的なものである。
それを強制するっちゅーのは、
充分思想の強制と言えるんじゃ、ねーの?(←長井秀和風。)
はっきり言って自由権の侵害ですね。
私は行動を持ってして、自分の仕事を捨ててまで、
このような事を訴えようとした方々に敬意を表します。
日本が民主主義であるというのなら、
このような方々の意見も充分考慮されていくべきでしょう。
しかし私は「間接民主主義」というものに、
大きな落とし穴を感じるのだ。
要は、「誰を代表者に立てるか」という自由が
パンピーには約束されているわけで。
代表者に立候補する人間てのは実際ほんの一握り。
その一握りの中から自分の考えと最も合う人、
もしくは自分を有益に(悪い意味でなくね)するように
政治を動かしていこうとする人を選ぶ、という事。
が。これってうちらパンピーの意見が、
直接的に反映されるという事に、本当に繋がるのか?
・・・という事に疑問を感じる。
大体総理大臣ってやつ。
あれ、自分達が選んでるって意識、
私自分が選挙権持っても、あんま沸かないと思うんだよなぁ。
間接に間接を重ね選ばれてるって感じがして。
いやー私、昔小泉総理が言ってた、
「たとえ国民から反対されようとも私は自衛隊を派遣する」
って言葉に、大変ショックを受けた覚えがあって。
まあイラク派兵は、アンケートでも実は賛成が多かったらしいけど。
結局何が言いたいかというと。
政治家が選ばれた後は、その政治家自身の判断で行動してゆく。
そしてそういう人達の採決で物事が決まってゆく。
この間接的さは、国民の意見を正確に反映させる事を
難しくさせるのではないか、と。
確かに現代は新聞でもニュースでも、
いろんな意見を自由に出せるし、世論も生まれる。
しかしだよ。それが正確に反映されるのか否か。
現状を見てる限りあまりそうとは思えないのだが。
じゃなきゃ実際あんな政治家批判は活発にならんよ。
それからたぶん一番怖いのは政治離れ。
K先生と「日本を悪くした10人」とは誰か、
という話をしていたのだけれど。
私なら池田勇人、入れるね。
彼の「所得倍増計画」というのは、
高度経済成長の先駆けとなったものだけれど、
あれ、国民が政治に関してとやかく言わないようにするように、
という狙いもあったそうな。
経済豊かにする方に意識を向けさせてね。
まあ現代の政治離れの原因はそれだけではないだろうけれど。
政策に批判持っても、自分達から革新をもたらそう、
って思う人間、果たしてどれだけいるのやら。
まあ実際私も思ったり言ったりするだけで、
どうにも行動出来ない人間の一人だけれど。
でも私がここにこうして書いたところで、
国家に身元暴かれてしょっ引かれる、なんて事はないのだから
言論の自由、充分活用させていただきますよ。
少なくともこうやって、間違ってると思う事を叫ぶ人間が
誰かしらいないと、危険だと思うよ、私は。
新体制運動、国家総動員法・・・
ここまでいきゃあ大げさかもしれんけどね。
でもここまでいかないと誰が言い切れる。
実際国歌歌わなかった人免職されてんだよ。
政治に興味全く持たず、気づいたら戦前と同じ体制でしたー
じゃ遅いっつの。
まあ私もちゃんと朝新聞読んで予備校行く生活したいね。
いくらか近くなったんだし。
取り敢えず言いたい放題言った所で、今日はお終い(死)
手始めに新書なんぞ買ってみました。爆笑。
まあ現社の時事問題がパーな私が、
時事やら歴史やら語るのは問題外なのかも知れんけどね。
何なの都立の卒業式&入学式。
日の丸・君が代。
起立しなかった教師免職って何ですか。
思想の自由は?
戦中、「非国民!」の一言で教師が免職させられたのと
一体何が違うというのですか。
そもそも愛国心の評価って何。
有りえん。
・・・有りえんの一言で片付けちゃ駄目ね。
私はどうも精神論で言っちまう癖があるわけで。
いんてりぢぇんす目指すんならそれはまずいわけ(笑)
実際今日の入学式の新聞とか見たけれど、
何か戦中の話読んでる気分になった。
「国歌斉唱強制」。
「国歌」ってのは、かなり思想的なものが絡んでると、
私は思うわけで。
要はあれって「君」=「天皇」を、
「称える」歌なわけで。
民主主義になってから、「君」=「国民」に
変えるっちゅーなんともまあ御都合主義な。
・・・まあその意味もよー考えず、
取り敢えず歌っとけーみたいな人もいるんだろうけど、
でも抗議に出た学生も、結構いるみたいなのね。
私の友人の学校でもあったみたいだし。
ま、当然聞き入れられなかったみたいだけどね。
国を愛したい人は愛すればいい。
そして大いに国歌を歌い国旗を掲揚すればいい。
しかしそれはあくまで思想の1つなのだ。
「公教育」ってのは、「公」である限り、
一定の思想に凝り固まる事が許されない場所。
それは「政教分離」の原則がある限り絶対でしょ。
(逆にうちらがいた「私学」っつーのは、
入るも入らぬも個人の自由なのだから、
カトリックだろーがプロテスタントだろーが、
学校は好きに教育して良いのです。)
「愛国心」だの何だのってのは、
あれはもはや宗教と同ジャンルでしょ。
何を持ってして宗教と呼ぶか、ってとこまで広げていけば、
もっとこの辺ちゃんと立証出来るのだが、
少なくとも「何かを称え、その為に行動する」っていう事は、
宗教的なものであり、思想的なものである。
それを強制するっちゅーのは、
充分思想の強制と言えるんじゃ、ねーの?(←長井秀和風。)
はっきり言って自由権の侵害ですね。
私は行動を持ってして、自分の仕事を捨ててまで、
このような事を訴えようとした方々に敬意を表します。
日本が民主主義であるというのなら、
このような方々の意見も充分考慮されていくべきでしょう。
しかし私は「間接民主主義」というものに、
大きな落とし穴を感じるのだ。
要は、「誰を代表者に立てるか」という自由が
パンピーには約束されているわけで。
代表者に立候補する人間てのは実際ほんの一握り。
その一握りの中から自分の考えと最も合う人、
もしくは自分を有益に(悪い意味でなくね)するように
政治を動かしていこうとする人を選ぶ、という事。
が。これってうちらパンピーの意見が、
直接的に反映されるという事に、本当に繋がるのか?
・・・という事に疑問を感じる。
大体総理大臣ってやつ。
あれ、自分達が選んでるって意識、
私自分が選挙権持っても、あんま沸かないと思うんだよなぁ。
間接に間接を重ね選ばれてるって感じがして。
いやー私、昔小泉総理が言ってた、
「たとえ国民から反対されようとも私は自衛隊を派遣する」
って言葉に、大変ショックを受けた覚えがあって。
まあイラク派兵は、アンケートでも実は賛成が多かったらしいけど。
結局何が言いたいかというと。
政治家が選ばれた後は、その政治家自身の判断で行動してゆく。
そしてそういう人達の採決で物事が決まってゆく。
この間接的さは、国民の意見を正確に反映させる事を
難しくさせるのではないか、と。
確かに現代は新聞でもニュースでも、
いろんな意見を自由に出せるし、世論も生まれる。
しかしだよ。それが正確に反映されるのか否か。
現状を見てる限りあまりそうとは思えないのだが。
じゃなきゃ実際あんな政治家批判は活発にならんよ。
それからたぶん一番怖いのは政治離れ。
K先生と「日本を悪くした10人」とは誰か、
という話をしていたのだけれど。
私なら池田勇人、入れるね。
彼の「所得倍増計画」というのは、
高度経済成長の先駆けとなったものだけれど、
あれ、国民が政治に関してとやかく言わないようにするように、
という狙いもあったそうな。
経済豊かにする方に意識を向けさせてね。
まあ現代の政治離れの原因はそれだけではないだろうけれど。
政策に批判持っても、自分達から革新をもたらそう、
って思う人間、果たしてどれだけいるのやら。
まあ実際私も思ったり言ったりするだけで、
どうにも行動出来ない人間の一人だけれど。
でも私がここにこうして書いたところで、
国家に身元暴かれてしょっ引かれる、なんて事はないのだから
言論の自由、充分活用させていただきますよ。
少なくともこうやって、間違ってると思う事を叫ぶ人間が
誰かしらいないと、危険だと思うよ、私は。
新体制運動、国家総動員法・・・
ここまでいきゃあ大げさかもしれんけどね。
でもここまでいかないと誰が言い切れる。
実際国歌歌わなかった人免職されてんだよ。
政治に興味全く持たず、気づいたら戦前と同じ体制でしたー
じゃ遅いっつの。
まあ私もちゃんと朝新聞読んで予備校行く生活したいね。
いくらか近くなったんだし。
取り敢えず言いたい放題言った所で、今日はお終い(死)
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